~情報漏えい報道の裏側で企業が真に問われる「守りの土台」~

組織を見つめ直し、足元から育てる:サイバーセキュリティの新しい視座
[連載コラム第1回]

TAC株式会社 IT講座企画部 部長
情報処理安全確保支援士
ネットワークスペシャリスト小野 直也

2026.11.04

はじめに

連日の情報漏えい報道に、「自社は大丈夫か」と胸を痛めるリーダーは少なくありません。しかし、不安からルールを締め付けたり、ミスをした個人を責めたりしても、組織は強くなりません。いま求められているのは、恐怖による統制ではなく、自社の足元を見つめ直し、人を信じる「守りの土台」の再構築です。
本連載では、セキュリティのあり方を前向きに見直すための新たな視座をお届けします。第1回では、「犯人探し」をやめ、現場の社員を組織を守る「強固なセンサー」へと変える安心の組織づくりを提示。第2回では、専門家の外部採用に頼らず、社内人材に知識を「プラス」して自前で頼もしい防衛チームを育てるステップを解き明かします。

誰か一人に責任を押し付けるのではなく、現場、社内技術者、そして経営陣が信頼のバトンをつなぐこと。それこそが、どんな脅威にも屈しない、真にしなやかで強い組織をつくる第一歩です。

 

[連載コラム第1回]
「犯人探し」をやめると、利用者は組織を守る「一番頼もしい仲間」になる

連日のように、名だたる企業や公的機関、業務委託先での情報漏えい事故がニュースを賑わせています。
スマートフォンに流れてくる速報を見ながら、「もしうちで同じことが起きたらどうしよう」「もし現場の誰かが、悪意あるメールのリンクを踏んでしまったら……」と、胃の痛むような思いを抱えている経営者やリーダーの方も多いのではないでしょうか。
「もっと厳しいルールで縛らなければならないのか」「これ以上、社員に何を注意させればいいのか」。
そう思い悩むのは、あなたが組織と顧客、そして一緒に働く仲間を真剣に守ろうとしているからこその、きわめて正当で誠実な悩みです。
しかし、不安のあまり「監視や罰則の強化」へと舵を切ってしまうと、実はかえって組織はサイバー攻撃に対して脆(もろ)くなってしまいます。いま本当に必要なのは、恐怖による締め付けではなく、「現場への信頼」と「安心して声を上げられる土台づくり」です。

1. ニュースの正体
〜いま報じられているのは「過去に起きたこと」である〜

まず目を向けたいのは、世間を騒がせている情報漏えいのニュースは、「昨日今日起きた事件」ではないということです。
多くの場合、攻撃者に侵入されたのは数カ月前、時には半年以上も前のことです。水面下で原因究明や被害範囲の調査を重ね、システムの復旧に奔走し、関係各所への調整を終えた結果として、「いまこの瞬間に公表されている」という背景があります。
インシデントが公表されると、世間ではつい「誰がクリックしたのか」「どの部署の管理が甘かったのか」と、目に見える“ミス”に目を奪われがちです。しかし、過去に起きてしまった出来事に対して犯人探しをしたところで、流出したデータが戻ってくるわけではありません。
本当に価値があるのは、「誰が悪かったのか」を糾弾することではなく、「あの時、組織として何ができて、何ができなかったのか」「どのようなプロセスを経て侵入が広がってしまったのか」を客観的・構造的に振り返ることです。
経営陣やCISO(最高情報セキュリティ責任者)が、社内の情報セキュリティ担当者や、国家資格である「情報処理安全確保支援士」といった専門家からの専門的知見を判断材料として共有し合い、意思決定を下す。それこそが、再発を防ぐための健全なガバナンスです。

2. 組織が直面する過酷なジレンマ
〜「被害を最小限に」と「事業を止めない」の狭間で〜

セキュリティインシデントの現場は、常に過酷な「矛盾」と戦っています。
例えば、ある日突然、社内ネットワークに不審な通信や侵入の兆候が見つかったとします。
技術的な被害拡大の防止を最優先にするなら、即座に社内外の通信をすべて遮断し、全システムを止めるのが最も安全な策です。しかし、通信を止めれば取引先への受発注は停止し、顧客向けのWebサービスはダウンし、工場のラインが止まります。事業活動が完全に麻痺し、会社が被る経済的・社会的損失は計り知れません。
かといって、ビジネスを優先してネットワークをつなぎ続ければ、気付かないうちに被害が他部署や子会社、顧客へと連鎖的に拡大してしまうかもしれない。
この極限状態において、重い決断の責任を、現場の担当者だけに背負わせるべきではありません。本来あるべき姿は、現場の技術担当者や情報処理安全確保支援士がリスクと現状を正確に経営陣へ上申・助言し、CISOや取締役会が「事業の継続性」と「被害の極小化」を天秤にかけた高度な経営判断を下すことです。
しかし、現場と経営陣の間に壁があったり、お互いを信頼できていなかったりすれば、この迅速な意思決定は極めて難しくなります。「情シスが頼りないからだ」「現場の社員のセキュリティ意識が低いからだ」といった社内の責任の押し付け合い(分断)を乗り越え、組織全体が一枚岩となって事業を守る共通のゴールを共有しなければなりません。

3. 「誰がいち早く気付いたか」が生死を分ける
〜29分の壁と、最も惜しい「ためらう時間」〜

近年のサイバー攻撃を巡っては、企業のリーダーにとって見過ごせない厳しい現実がデータとして突きつけられています。
米大手セキュリティ調査機関CrowdStrike社が公表した年次脅威レポート(2026 Global Threat Report)によると、攻撃者が組織の端末に初期侵入を果たしてから、社内の他システムへと横展開(ラテラルムーブメント:社内の別のサーバーやPCへ侵入を広げる動き)を開始するまでの時間は、平均してわずか29分にまで短縮されています。
さらに同レポートでは、観測されたサイバー侵入活動の82%(約8割)において、ウイルスなどの実行ファイルを用いない「マルウェアフリー攻撃」が行われていたことが報告されています。
攻撃者は盗み取った正規のアカウント情報を使い、管理者が日常業務で使うWindows標準の機能(PowerShell等)を悪用して、まるで一般社員のような顔をして静かに忍び込みます。いわば「合鍵を使って正面から入り、社内を歩き回っている」状態です。そのため、どれほど高価な監視機器を導入していても、「過去のウイルスパターンを探す」ような機械の目だけで、この初期の不審な動きを見抜くことは極めて困難になっています。
では、この猛スピードの侵入から組織を守るために、何が生死を分けるのでしょうか。それは、システムを日常的に使っている「現場の人間が、いかに早く違和感に気付き、声を上げられるか」です。
ここで、よくある2つの光景を比べてみてください。

【ケースA】犯人探しのある組織

営業部のAさんは、取引先を装ったメールのリンクをうっかり開いてしまいました。「あれ、変な画面が出たな……でも、情シスに連絡したら『なんで開いたんだ』と怒られるかもしれない。自分の勘違いだったら迷惑だし、大ごとにしたくないな。今のところ何も起きていないし、少し様子を見よう」
――迷っている間に、あっという間に2時間が経過。攻撃者は、防衛の猶予時間である「29分」の壁を悠々と超え、社内ネットワークを探索して重要データを奪い去っていきました。

 
【ケースB】安心感のある組織

同じく不審なリンクを開いてしまった営業部のBさん。「しまった、何か変だぞ」。Bさんは怒られる心配など微塵もせず、わずか1分後に情シスへ内線電話をかけました。「すみません、請求書のリンクを開いたら不審な画面が出ました!」
――報告を受けた担当部門は直ちにBさんのPCをネットワークから切り離し、アカウントのセッションを遮断。侵入は端末1台の「ボヤ」の段階で完全に食い止められ、全社データへの被害はゼロで済みました。

 

組織にとって最も悔やむべき、そして致命的な損失となるのは、「怒られる不安や、勘違いかもしれないという迷いから、現場が報告をためらってしまう時間」です。
プロの攻撃者がAIや巧妙な心理誘導を駆使する現代、どれほど優秀な人間であってもミスをゼロに抑え込むことには限界があります。だからこそ、「騙されたこと」を責める減点主義を捨て、「違和感を覚えて1分で手を挙げてくれたこと」に心から感謝する。この安心感(心理的安全性)があって初めて、現場の社員は組織の隅々を守る「一番頼もしいセンサー」になってくれるのです。

4. 現場のSOSを正しく届ける「共通言語」
〜なぜ、デジタルの時代に「半径1メートルのIT」を語る言葉が必要なのか〜

前章で「1分で違和感を知らせる安心感」の大切さをお話ししました。
しかし、現場が勇気を出して声を上げてくれたとしても、もう一つ、初動のスピードを大きく阻んでしまう見えない壁があります。それが、「何が起きているのかが、言葉でうまく伝わらない」というコミュニケーションの壁です。
現場でトラブルが起きたとき、このようなやり取りに心当たりはないでしょうか。
「すみません、なんだかパソコンが急に壊れちゃって動かないんです!」
「壊れたって、電源が入らないの? それとも画面がフリーズした? エラーメッセージは何か出てる?」
「ええと……英語で何か四角い枠が出て消えました。いつもと違う画面になって……」
悪気はまったくありません。しかし、情シスやセキュリティの担当者が状況を把握するために「何が起きたのか」を何度も質問し、推測を重ねている間に、わずか29分しかない防衛の猶予時間が刻一刻と削られていってしまいます。
業務のデジタル化やDX、さらにはAIを活用するAX(AIトランスフォーメーション)が急速に叫ばれる今、現場の社員は誰もが当たり前に高度なITツールを操作しています。
しかし、「道具を使えること」と「そこで何が起きているかを正しい言葉で表現できること」の間には、依然として大きなギャップが存在します。
もちろん、現場の一般社員全員を「ICTの専門家」にする必要など毛頭ありません。プログラミングができる必要も、高度な暗号技術を理解する必要もないのです。
求められているのは、自分が日々使っている「半径1メートルのIT環境」について、最低限の事実を正しく言葉にできること。それだけで十分です。
もし、基礎的な仕組みと用語が組織に浸透していれば、同じトラブルの報告は劇的に変わります。
「社内ポータルにアクセスしようとしたら、『SSL証明書が無効』という警告画面が出ました。また、自宅からつないでいるVPNルーターの接続ランプが消えて、社内LANから切断されています」
「取引先を装った不審なサイトにIDを入力してしまった直後、スマートフォンの認証アプリに身に覚えのないMFA(多要素認証)のプッシュ通知が届きました。拒否した上で連絡しています」
どの機材で、どのような画面や通信のエラーが起きているのか。
現場が「現象」を客観的に観察し、正確な言葉で状況を言語化できるだけで、情シスや経営陣は即座に事態の危険度を把握し、的確な防衛アクションを打つことができます。
では、この「共通言語」をどう身につければいいのでしょうか。
何か特別な研修を一から設計したり、特定のベンダーの製品マニュアルを丸暗記したりする必要はありません。大切なのは、特定の業界や企業に偏らない「標準的なものさし」を基準として活用することです。
例えば、IPA(情報処理推進機構)が実施する「ITパスポート試験」や、国際的な業界標準として広く認知されている「CompTIA Tech+」などは、まさに業務で触れる「半径1メートルのITの基礎構造」を体系的に理解し、日常の会話を成り立たせるための優れた指標になります。
さらに、チームや部署の中で「これ、ちょっと怪しくない?」と日常的に相談に乗れる人材を置くという意味では、「情報セキュリティマネジメント試験(SG)」のような知識体系も、現場の安心感を支える確かな土台として機能します。
これらは、決して専門家を育てるための難解なハードルではありません。
デジタルの時代を生きる組織として、「現場のセンサーがキャッチした危険のサインを、濁りのないクリアな言葉で担当部署へ届けるための環境づくり」なのです。

5. 利用者を「弱点」ではなく「一番頼もしい仲間」へ

これまでのセキュリティ教育は、どこか「社員にミスを起こさせないための注意喚起」や、「万が一のときの免責のための社内研修」といった、後ろ向きな義務感で行われてきた側面がありました。
しかし、本来の現場の社員たちは、攻撃者に狙われるだけの「システムの弱点(脆弱性)」などではありません。
オフィスで、リモートワーク先で、顧客とのやり取りの最前線で、日々の業務の機微に最も精通している「組織の中で一番身近で、最も敏感なセンサー」なのです。
ルールで縛り、社員を疑うことで防衛線を築こうと頭を悩ませるよりも、「現場の社員を信頼し、会社を守る頼もしいパートナーとして背中を押してあげること」。そのための知識と言葉を授けることこそが、いま組織に求められている前向きなアプローチではないでしょうか。
「自分たちも、会社とお客様の大切な情報を守るチームの一員なんだ」
社員一人ひとりがそう誇りを持ち、互いに助け合える文化が根付いた組織は、どんな巧妙なサイバー攻撃にも決して屈しない、真にしなやかで強い組織へと進化していきます。

 

次回予告:現場から届いた「違和感のバトン」をどう受け止めるか?
現場のセンサーが研ぎ澄まされ、素晴らしいスピードで「異変の兆候」が上がってくるようになった組織。では、そのバトンを受け取る側の社内セキュリティ体制は、どう組み立てればよいのでしょうか?
「CSIRTやSOCを誰がやるのか」「即戦力の外部採用ができない中で、どうチームを作るのか」
次回は、多様化する組織体のパズルを解きほぐし、足元のインフラから社内人材を育てて頼もしい防衛チームを築くためのステップをお届けします。

*第2回コラムは2026年11月11日(水)更新予定です。

Profile
小野 直也
TAC株式会社 IT講座企画部 部長
情報処理安全確保支援士 (登録番号 第005873号)
ネットワークスペシャリスト

IT関連トレーニングの企画・制作・研修講師として10年間活動後、「ITスキルは人々を幸せにする」という想いからより多くの方々のスキルアップをサポートしたいと志し、TAC株式会社に入社。CompTIA認定資格トレーニングを担当する部署に着任。法人様のICT人材育成に、企画・製作・運営面から携わる。

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