HARMONIC BOND 代表
前 日本パブリックリレーションズ協会副理事長
2024.10.01
このコラムをお読みになる方の多くは、企業や団体で人事や人材育成の研修に携わっておられると思いますが、私はエレクトロニクスメーカーと物流企業という二つの企業での41年の勤務経験の内、約30年に亘り「広報」の仕事に携わったという、些か特異な経歴の持ち主です。そして今は、その経験・知見とキャリアコンサルタントのノウハウを生かして企業の広報組織や人材開発を通じて広報力強化を支援する個人事業を営んでいます。
このコラムでは、私の長年の広報経験に基づき「広報」という仕事の経験が、人的資本経営の時代の企業人材の育成や経営にどのような効果をもたらすのかについて、3つの視点からお話したいと思います。
広報は、社内外とのコミュニケーションを円滑に進め、よりよい関係性を構築するために、「傾聴力」「共感力」「編集力」「言語化力」「洞察力」「分析力」「リスク感知能力」など、多岐にわたるスキルセットと、常に「社会と社内の両方に軸足を置く」という広報の立ち位置の在り方から「客観視」「俯瞰」「誠実・公正」「胆大心小(強い胆力と細やかな配慮)」というマインドセットを必要とします。これらのスキル・マインドセットは、広報の仕事だけでなく、あらゆる職種で活躍するために不可欠な「仕事の基礎力」となりうるものと言えるでしょう。
では、なぜこれらが広報の経験を通じて身に付くのでしょうか。まず、そもそも広報とは何か?について、お話しさせてください。
私は会社での職務と並行して今年の6月まで、公益社団法人日本パブリックリレーションズ協会(PRSJ)で、副理事長と企業部会長の役割を担わせていただいておりました。パブリックリレーションズについては「PR」という略称としてはご存じかと思います。でも広報の話をしているのに、PRの話?と思われる方もおられるかもしれませんので、少し説明しますと、実は広報という日本語は、パブリックリレーションズという概念が第2次世界大戦後にGHQによって日本に導入され、それが新たな日本語として翻訳され定着したものであり、ほぼ広報≒PRと理解いただければよいと思います*。
*日本では「自己PR」「PRタイム」のように、PR=自らの良いところをアピールする、「広告(宣伝)」するといった意味合いで理解されている場合が多く、本来のパブリックリレーション=PR=広報という認識がまだ浸透できていない現状があることも、広報という仕事が正しく理解されない理由の一つでもある。
因みに、日本広報学会が昨年発表した広報の新たな定義において、広報は「組織や個人が、目的達成や課題解決のために、多様なステークホルダーとの双方向コミュニケーションによって、社会的に望ましい関係を構築・維持する経営機能である」と位置付けられています。
そして、不確実な時代における重要な経営機能の一つとして期待される企業広報には、次の5つの基本機能があります。
① 外部情報の受信(広聴機能) |
このように、企業における広報という仕事は、社会と会社、会社(経営陣)と社員、社員と社員の円滑で良好な関係性を構築するための機能であるがゆえに、社内外を問わず多様な価値観や視座・視点に触れる機会が非常に多く、他の仕事で得られないスキルセット・マインドセットも体得する機会に恵まれているのです。また、正解を求めず対話によって「関係性に働きかける」という広報の本質は、多様化する価値観や就労意識の中で、これからの組織開発のアプローチの在り方として注目されている「対話型組織開発」に非常に近いものではないかと思います。優秀な広報人材は、関わる人に対する傾聴力と受容・共感の力が優れている場合が多く、心理的安全性の高い環境で協創する集団への変革を促すチェンジリーダーの素養を有していると思います。
広報部門に身を置いてこのような経験をした人材は、他の職能部門に異動しても、身につけた知見やスキル・マインドセット、そして多彩な人脈を生かして活躍するケースが多いと実感します。さらに、長年広報部で活躍されて昨年社長に就任された西武ホールディングス代表取締役社長 西山隆一郎氏のように、広報部門でもキャリアを重ねられた方が優秀な経営者として活躍されるケースは過去からありましたし、これからはさらに増えていくのではないかと思います。
しかし、このような恵まれた環境とそれによるスキル・マインドセットを自覚し、広報の機能を最大限に発揮するための人材・組織の開発には、広報の専門性の高い人材(スペシャリスト)が広報部門の責任者として存在することが欠かせません。広報部門がその機能を正しく発揮できなければ、いわば血流が阻害された身体の様に、機能不全に陥り、企業の存続が脅かされることに繋がっていくのです。その意味で、私は「広報部門を見ればその会社の経営の健全さがわかる」と考えています。
さらに、広報部門の責任者としての広報スペシャリストには、経営者の意思決定や経営改革に重要な情報を感度高く収集し、分析し、適切にフィードバックする「情報参謀」としての役割があります。また経営者の判断に社内論理に縛られた迷いや曇りがあれば、様々な情報をもとに社会目線と誠実な判断から、経営者に忖度なく諫言や忠言を行い、正しい経営判断を支援するという大変重要な役割も求められるのです。経営者や企業が表面上どんなに立派な発言をしていたとしても、その判断や視点、行動が社会からの要請とずれていれば、社員からも社会からも信頼は失われ、やがて存続の危機に繋がっていくことは、過去からの多くの事例が示す通りです。
また、広報部門の責任者は、緊急時には会社を代表するスポークスパーソンとして、時にはたった一人で社会やメディアに対峙せざるを得ないこともあります。その一言で、事態がさらに悪化するリスクもある中で、経営者に成り代わり、社会目線と誠実さを最優先しつつも、企業価値の毀損を回避するギリギリのバランスを持った視座で瞬時に判断しコメントを発するという、極めて難易度の高い対応が求めあれるのです。このような対応ができる広報スペシャリストを広報責任者として育成、配置できなければ、危機発生時のコミュニケーションを誤って瞬く間に破綻に繋がる恐れがあります。
実際、昨年来様々な企業の不祥事が世間を騒がせていますが、その多くは経営者の独裁的判断や社内論理、業界論理による経営の暴走を止められなかったことが原因であり、さらにその危機発生時のコミュニケーションの失敗が致命傷となっています。それらに共通していたのは社内にそもそも広報機能が無い、またはあっても機能していないことでした。
その意味で、優れた広報スペシャリストの育成、それもできれば経営幹部候補者として育成することが、企業の持続可能性を高めるといっても過言ではないと思います。
現代の企業は、人的資本経営という考え方に基づき、人材の育成と活用に一層力を入れています。人事部の皆さんには釈迦に説法で恐縮ですが、このような状況下においては従来の労務管理だけでなく、人材戦略、組織開発など、ますます多岐にわたる業務が求められていると思います。
昨年11月5日の日本経済新聞電子版の「人事部は変われるか 労務管理から個を生かす戦略へ」という記事で、同社の半沢二喜編集委員が「人的資本経営という人を生かす経営を追求するのであれば、人事制度だけではなく人事部そのものの機能も変えていく必要がある」と述べるとともに、リクルートが公表した情報として、転職市場における人事関連職種の求人件数が2018年から22年の間に2.4倍に増えた一方で、人事のスペシャリスト人材だけではなく人事の未経験者の採用も増加していることも指摘しておられました。
また、これに関するリクルート研究員の津田郁氏の次のようなコメントも、記事中で紹介されていました。
「人事部の役割が守りの労務管理から攻めの人材戦略へと変わる中で、ビジネス感覚や創造性、マーケティングなどの資質もこれからの人事担当者には求められる」。
これを読んで私は、「広報の仕事において培われるスキル・マインドセットという資質(仕事の基礎力)は、これからの時代の人事業務に貢献できるのではないか」と感じました。広報人材や広報経験を有する人材は、これからの人事部門の変革を促す上で重要な役割を果たすことができるのではないかと思っています。
振り返ると、長年勤務した二つの会社で、広報部門との協働・協創が最も難しく、しかし最も必要な部門は、人事部門だった思います。批判を恐れずに書きますが、なぜ協働が難しかったのかは、人事が管理部門であり、また多様な職種や階層の社員の公平性を期すために既存社内ルールを厳密に運用することを重視されていたからかもしれないと感じていました。会社によっては広報も同様な意識の場合もありますが、社外にも軸足を置き、社会目線から社内を見つめることを重視する広報は、社内ルールの課題や変革すべき点もいち早く察知するものです。
私自身、特に2つ目の会社では入社した時から人事役員や人事部長と様々な議論を重ねる中で、意見が合わないことも多く、いろいろご面倒をおかけしたと思うのですが、8年間務めた最後の年に、長年要望していた人事制度改革を望ましい方向へ舵を切ってくださったことや、同社初のエンゲージメント調査を広報との協働で実現してくださったことなどがあり、少しは広報としてお役に立てたのではないかと思っています。
以上、3つの視点から、広報の経験やスペシャリストの存在が企業人材の育成や経営に与える影響について、私の考えをお話してきました。広報は、単なる情報受発信の役割にとどまらず、「企業や組織の自律的変革を促す重要なファシリテーター」としての役割を担っていると考えています。広報人材の育成や活用は、企業の持続可能な成長の大きな力になるであろうことを皆さんにお伝え出来たのなら、幸いです。