【人事担当者を元気にするコラム Vol.36】シンガポール人の素敵な友人 ~Mr. Ganとの出会いを通じて考えるキャリア~

大手食品メーカーグループ会社 代表取締役社長山本実之

2022.10.28

私が海外事業部に所属していた頃のこと、シンガポール・プロジェクトを担当していたときに、シンガポール人のMr. Ganと出会いました。
当時、Mr. Ganは、原料メーカーの輸出営業マネージャー。そして私は輸入担当。なぜか気があい、いろいろよく話す関係になって、シンガポール出張の際にはいつもお会いしていました。

Mr. Ganは、シンガポール大卒のエリートで、奥様もシンガポール大卒。二度ほど、ご自宅に招待されたことがあります。土地付きの戸建てに、奥様とお嬢さん、そしてフィリピン人のメイドさんとで住んでいたので、シンガポールではかなり裕福な家庭だと思います。
ある時、いろいろ話す中で、先の戦争について話すことがありました。これは、シンガポール人が日本人に対して、相当、親しくならないと話すことがないテーマであると感じます。

Mr. Ganがこう言っていました。
「戦争のことで、日本人にあやまってほしいなんて、思ったことは一度もない。でも、シンガポールで起きた出来事について、日本人はあまりに知らなすぎる。
観光でくるのは、もちろん歓迎。仕事でくるのももちろん、OK。でも、起きた真実は、しっかり知ってシンガポールにきてほしい」と。

以前、私はシンガポール国立博物館に行って、とても驚いたことがあります。
そこに設置されていたテレビの画面には、日本がシンガポールを陥落させたときの映像がずっと流されていたのです。残酷な場面も含めて……。
占領後、日本はシンガポールを昭南島という名前に変えました。過去の戦争の歴史の中では、いろいろなことが起こりましたが、占領した国の名前を変えたのは実は、日本人だけとも聞いたことがあります。

今はわかりませんが、当時、その博物館を訪ねる日本人はほとんどいませんでした。でもシンガポールの子どもたちは、教育の一環としてその映像をしっかりと、目にやきつけて成長しているのです。
その一方で、多くの日本人の若者は、シンガポールであった出来事などはなにも知らずに、旅行などで訪れているのではないでしょうか?

もちろん今のシンガポール人は、日本人に対して、敵対意識などはもっていないと思いますが、日本人の若者が知らない歴史をしっかりふまえて、日本人と対峙していることは事実です。歴史を知ることの大切さも改めて感じています。

また、キャリアに関して、Mr. Ganの考え方はとても新鮮に映り、おおいに刺激を受けたことを覚えています。
シンガポールでは、日本とは異なり、社内研修やジョブローテーションといったことが少ないようで、会社に入ると一つのポジションで、ずっと働いていくことが多いようでした。

Mr. Ganは、なぜ、原料メーカーに勤務していたのか?
そもそも彼は、バンカー(銀行)の出身で、融資を担当していました。しかし、融資をしながらも、メーカーの考え方や原価計算の本質などがわからないし、理解もしにくい。それで、いろいろと判断を迷ったりすることがあったようです。
だからこそ、内容をよく理解するため、そして自分のキャリアのため、銀行をやめて、メーカーに入社したそうなのです。
キャリア戦略は明確で、原価計算をはじめとした基礎を実地で学び、メーカーの考え方をしっかり把握するためだったのです。自らのキャリアは自らの人生を通じて、学んでいくという自立した姿を感じました。

その当時の日本では、一つの会社に終身働き、その中でキャリアを考えていくことが一般的な考え方だったので、キャリア形成のために会社をやめてまで学んでいくという行動はとても新鮮で、まさに目からうろこがおちるような衝撃を受けました。
逆にMr. Ganは、自分のキャリアの話をするときは、いつも淡々としていて、「やるべきことを、やるべき通り、やっている」といった様子で、特別な感情はないように感じました。
伝統的な日本企業で、社内研修を受けながら、ポジションが上がっていく、そんな私の環境とはとても異なり、大いなる刺激を受けたことを昨日のように思い出します。

その後、メーカーでの知識やスキルを身につけたMr.Ganは、予定通りバンカーへ戻り、バイスプレジデントとして活躍されていました。もう定年になっているでしょうか? 久しぶりにお会いしたいと感じる、とても素敵なシンガポーリアンであり、大切な友人の一人です。

今の日本社会は、Mr. Ganの環境や、考え方により近くなってきているように感じます。
「自分のキャリアは自分で構築していく」
「自分のゴールを踏まえて転職し、自分の未来のビジョンにつなげていく」
そんな社会になってきたようにも感じます。
自立して、のびやかでとてもいいことだと感じます。

Mr. Ganは、最近よく耳にするようになった「ポータブルスキル」についても、この時点ですでに意識していて、まさにどこへでも、もちだすことのできる万能型スキルの獲得をしていたように思います。
日本の企業では気をつけないと、その企業のみでしか通用しないスキルの蓄積になってしまうこともあります。今後は、スキルをどこへでも持ち運びできるポータブル型にシフトしていく努力も必要となっていくことと思います。

Mr. Ganは、(当時の)シンガポールの考え方として、「社内でしっかり教育していくという考えはあまりなく、できる人材をキャリア採用していく環境にある」と言っていました。
まさに自分の力で生きていく。そんなサバイバルな世界を感じます。

そのような環境にふれあっていたせいか、私も当時にあって比較的、現代に近い考え方をしていたように思います。30歳から35歳ごろにはよくヘッドハンティングの話がありました。
そういった連絡があったときに、いつも必ず伝えていたのは「今の会社をやめるつもりは全くありません。ただ、自分が市場でいくらなのか、自分の市場価値を知りたいので、それだけの興味でいいですか? それが問題なら、訪問しません」と言っていました。すると、エージェントの方からは「それでもいいから、お会いしたい」といわれ、お会いしたこともありました。
労働市場で今の自分の価値はどうなのか? マーケットではいくらくらいの存在なのか、確認をしておきたいというスタンスは必要に感じます。
私の場合、その当時のことではありますが、やはり、「外資の給料は高いなあ」と感じた記憶があります。だいたい、2倍以上の給与は提示されていましたが、私の心がゆれることは全くありませんでした。

一番驚いたのは、海外部に所属していたときに、ある欧米系の会社からヘッドハンティングされたときのことです。もちろん、お話しは断りましたが、なんとその後、その会社から、海外部に所属する私の事業部に提携話が持ちかけられたのです。
そのミーティングに出席しながら、もしあの時、転職していたら、反対側(相手の会社)の立場でこの場にいたのかもしれないのかと思うと、とても不思議な感覚でした。

ただ、数年後、その会社は他の会社に買収されてしまいましたので、もし転職していたら、私の人生も変わってしまっていたなあとつくづく思いました。
ご縁を大切にしていく行動は、重要なのだと感じています。もちろん、お金が欲しくないわけではないのですが、転職をしなかったのは、会社のことが大好きだったからだと思います。妻からはよく「初恋の人みたいね」と言われていました。

ヘッドハンティングの方の言葉はたくみなので、思わず、心がゆれそうになることもあると思います。私のように、心に決めていないと、ゆれてしまうこともあるでしょう。
その当時は現在のように、転職サイトなどが確立していたわけではなかったのですが、ヘッドハンターは私の異動や最新の経歴といったことをよく知っていて、とても不思議に感じていました。

また私の部署のメンバーに、ヘッドハンターから誘いがあったとき、アドバイスをしたことがあります。「基本的に、自分の市場価値がいくらかを知っておくことに意味はあると思うよ。ただ、お会いする前に、自分自身のスタンスはしっかり決めて会う方がいい。年収とかは倍額くらい提示されることもあるので、しっかり決めていかないとゆれるよ」と。
結局、そのメンバーは、ヘッドハンターに会ったようですが、転職はせず、今も当社で元気に働いています。

私には、30代のころからずっと思ってきたことがあります。
会社には外部からヘッドハンティングされるような人物があふれていることが好ましい。でも、その魅力あるメンバーがこの会社だから移らないように、会社に魅力があるから、ここで力を発揮していきたいと感じられるほど、求心力のある会社になる必要があると思っています。
人事としても、キラキラしたメンバーが魅力を感じるような取り組みや考え方が求められることと感じます。

どんな会社、環境にあっても活躍できる、素敵な人がいて、その人たちが「この会社が好きなんだ」「ここで働くことが喜びなんだ」と集まってくる会社こそ、強くて本当の意味で魅力のある会社なのだと思います。
そんな会社になるために、各部門のメンバーが努力していく必要があるのだと考えています。
そしてそのためにも、社員一人ひとりがすてきな人になる努力も同時に求められていくことになると思います。現代、よくいわれている、B/S,P/Lといった、目にみえる財務諸表などにあらわれるものではなく、目には見えない魅力、輝きを会社がいかにもっていくか、その資質が問われているのだと感じています。

私自身、社長として、勝手にメンバーの給料などの処遇改善をすることはできませんが、この会社で働いていくことに幸せを感じ、喜びを感じ、いきいきと働いていく環境づくりはできると感じています。
人が人として輝いていく、お互いに励まし合いながら、魅力を爆発させていく、そんな組織づくりを日々、目指しています。
その一つが、ラーニング・オーガニゼーション(学習型組織)の実施です。
多くの会社では総合職と一般職への研修ウエイトは相当、異なっていることと思います。一般職の方には研修はあまり実施されていないのが現状ではないでしょうか?
私はともに働く仲間に一般社員、総合社員の比較はなく、ただキラキラ、いきいき働いているかどうかこそが大事だと思っており、一人一人が輝いていけるように、研修などを独自に実施し、のびやかに成長してもらいたいと考えています。

ポータブルスキルを意識しながら、先行投資として教育費用を活用し、一人ひとりが輝いていけるように、その場で学んだことを今後の人生に生かしていけるように、サポートしていきたいと考えています。

 

  【お知らせ】
山本実之氏による「人事担当者を元気にするコラム」は、毎月1回の更新を積み重ね、今回、36回目の掲載、丸3年を迎えました。これを記念して、山本実之氏からコメントをいただきましたので、ご紹介いたします。
山本実之氏による「元気が出るコラム」連載3周年記念特設ページ
 

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Profile
山本実之
大手食品メーカーに入社。20代は商社部門で食品原料の輸入販売を担当。30代は食料海外事業部に所属し、シンガポール・プロジェクトをはじめ米国・香港等へ製品輸出を担当し、出張した国は32ヵ国にのぼる。さらに英国との合弁会社にて営業企画管理部長を担当(上司がイギリス人、部下はアメリカ人)。
40代は新規事業立ち上げのリーダーを担当し、その後、営業部長に。40代後半からは研修部長として、人財開発を担当。のちにグループの関連会社の代表取締役社長に就任し、現在に至る。
資格としては、GCDF-Japanキャリアカウンセラー、キャリアコンサルタント(国家資格)、(財)生涯学習開発財団認定プロフェッショナルコーチ、1級ファイナンシャル・プランニング技能士(国家資格)、CFPⓇ。デール・カーネギー・トレーニング・ジャパン公認トレーナー(デール・カーネギー・コース、プレゼンテーション、リーダーシップ)を取得。

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